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君は生き延びることができるか

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初めての手術を機に日記をつけ始めました。手術日記からスタートして、退院後はガンプラ、野球など好きなことを思いつくままに記しています。

胆嚢をとることにした-後編-

2005年11月下旬頃から毎日明け方に必ず痛みがでるようになった。それとともにビリルビン値は基準値を再びオーバーした。先生の話では症状が悪化すると患部を押すと痛いし、おなかが硬くなるらしいが、幸いおなかはまだやわらかく、押しても痛くない。ただ、超音波検査では胆嚢の壁が少々厚くなってきているのがわかった。炎症をおこしているらしい。炎症があると手術が簡単ではなくなるそうだ。
そして2005年12月上旬、今までは我慢できる痛みばかりだったが、右のあばらあたりに激痛が30秒ほど走った。車の運転中だったが、踏み切り待ちで助かった。それからというもの、1週間に1回程度激痛に近い痛みが来るようになった。もちろん弱い痛みは毎日のようにあった。
秋口から仕事の体制を整えてきており、他の人に無理をしてもらえば1週間くらいなら休めるのだが、できれば無理をさせたくない。無理させた結果復帰後の修復が大変になるかもしれない。退院早々それはきつい。何よりも手術はしたくない。そんなことを延々と考え続けてついに年末まで来てしまった。妻は帝王切開で出産しているため、胆嚢の切除なんてたいしたことないと言うが、生まれてから今日まで体にメスを入れるどころか病院にだってほとんど行った事のない私の手術に対する恐怖はわかるまい。でももう痛みだけでなく精神的ストレスが耐えがたい。年末で手術は日程的に無理だろうから、年明けまだ痛むようなら手術をしようと決めた。
あっという間に2006年がやってきた。年末の決心どおり手術の意思を病院に伝えた。が、タイミング悪く院長先生がお休みで、1月16日以降またきてください。といわれた。それから数日間は痛みが一時的に沈静化していたため、再び手術しないでおこうという気持ちが出てきて16日になっても病院へは行かなかった。
が、それを打ち消すかのごとく過去最大級の痛みが発生した。ついに痛みのため寝られないという事態となったのだ。1月27日のことである。救急車を呼ぶほどではなかった。しかしこれで諦めがついた。来週妻と一緒に病院へ行こう。恐ろしいことに体重が1年前と比べるとマイナス10kgとなっていた。
1月31日妻と共に病院へ。院長先生と相談し2月7日に入院し2月8日に手術となった。その際超音波検査をしたのだが、先生曰く、胆石ではなくポリープのみの可能性もあるのだそうだ。胆石は超音波検査のときに尾を引いたように線が写るらしいのだが、それがないのだ。悪性腫瘍の可能性も完全には否定できないので、いずれにせよ胆嚢を取ったほうがよさそうだ。腹腔鏡で胆嚢を摘出するのだが5%くらいの確率で開腹手術になるらしい。開腹だと3週間は家に帰れない。できればそうならないでほしい。
妻をいったん帰した後、手術にそなえていろいろな検査をした。尿検査、血液検査、鼻水と便を綿棒のようなものでとられたりした(結構痛い)。血液検査はいつもよりたくさんとられた。あとレントゲン、副鼻腔炎もあるので鼻のあたりのCTもとった。肺活量、心電図。心電図はランニングマシーンで3分程走って心臓に負荷をかけて測定したりした。全身麻酔に耐えられるかの検査のようだ。血液の止まり具合も調べた。これだけいろいろ検査してもらえるとかえって安心する。
入院申込書、手術承諾書、入院に必要なものが書かれたものなどをもらう。家計を別にする保証人が必要らしい。親父に頼むことになるだろう。
by MSN-100Y | 2006-02-02 02:37 | 健康

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